偶BLO(たまブロ)

'99年生れのオッサンJRTと’11年生まれのトイプ~との日々を偶~~~にUPするブログです。

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やっぱり居た!

ピロリ菌!
先日バリウムを飲んだ時に採血しお願いしてあったピロリ菌の抗体検査。
ピロリ菌の抗体がないと10以下なのだが、21。
やはり住み着いておりましたです。
日本人の8割ほどがピロリ菌を保有しているとか。
かと言って、その8割全ての人が胃ガンや胃潰瘍になっている訳でもない。
胃ガンや胃潰瘍を引き起こす危険因子の一つに過ぎないのである。
ストレスや食生活など、複合的な因子が関わり合って病変するので、ピロリ菌=病気にはならない。
ピロリ菌が見付かると除菌を促す医者が多いが、掛かり付けの医師はそんなに勧めなかった。
除菌のために抗生物質を1週間飲み続けるのだそうだが、病変がないと保険適用ではないし。
抗生物質が体に合わなくて副作用が出る人も居るとか。
それほど強力な薬なのだ。
そんなに強い薬だと、その薬の解毒作用で肝臓への負担も考えられる。
ピロリ菌=病気にはなならないので、除菌は見送る事に。
自分が一番問題なのは《ストレス》だからね。
それをなくさないと。
って行ってる傍から、仕事で問題が起きつつある。
今度こそは絶対!絶対!!!何があっても北海道へ行くぞお~~~!!!
もう来週の火曜日だもん。
キャンセルなんてするものか!
たとえ相手が天下の○ヨタでも!!!
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元気そうでも・・・

やはり病気は病気。
先程、BAMBIが久々に発作。
外にオシッコをさせに出して、何時ものように車の陰に消えて行った。
と、その瞬間「ワンワンワンッ!」と吠えて走る足音が。
どうやらノラ猫と遭遇したらしい。
すかさず「待てっ!」と一喝。
「来いっ!」で直ぐにすごすご戻って来たが、戻って来た途端腰砕けにその場に座り込んだ。
そして体を硬直させ痙攣。
「カッカッ」と咳き込むように嘔吐→失禁。
以前対処法を教わってたので、体を叩きながら声を掛け正気に戻させる。
1分も経たない内に正気に戻り。
数分で立って歩けるまでに回復。
その後は何事も無かったの様にしてる。
意識が無くなるほどの発作はかれこれ1年以上も無かったので、心臓に疾患がある事も忘れがちだった。
でもこのような発作が起き、改めてBAMBIの心臓に異常がある事を思い出させてくれる。
元気なように見えても、体の中では急な興奮状況下では耐え切れないような心臓なんだねえ~。
過保護になってはいけないが、監視&管理はきっちりしないとね。
99年組で二十歳を無事迎えるためにも。




寝姿

被災地に・・・

ミャンマーや中国四川省の被災地に義捐金や物資の募集を各メディアがしているので何とか協力をと思っても・・・やはり横流しや、末端にまで物資は行き届いていないようだ。
物資が過剰に届き山積みにされておる被災地もあれば、食料も医薬品なども全く届かず苦しんでいる被災地もあるようだ。
道路が寸断されていて陸路で運べないって言うのは判るけど、空路で運ぶ手段もある筈。
被災してから1週間以上経っているのだから、順番にヘリで運べば幾ら広大な被災地と言えども全く物資が届かないってのは無いのではないのかなあ~。
こう言った所でも権力のあるなしや、その場所における政治事情などの影響で被災民が苦しんでいる。
そう言ったものを全て排除する事って難しいのかね。
国際的な人的救助でも直ぐに受け入れれば、もっと多くの命が助かっただろうに。
言葉の壁とか安全面での配慮とかあるからと言うけど、極限の状態におかれてる場合言葉の壁なんてものはないと思う。
瓦礫の中から人を助け出すのには言葉よりも行動だ。
言葉の壁が立ちはだかるのはその後ではないか。
日本でも国際援助を得る場合には、やはり相当な時間が掛かるようだ。
大地震が各地で起きている現状をもっと真剣に考え、有事には直ぐに決断出来るシステムを作って欲しいものです。

水害で被災した時の実体験から水と食料は3日程度は確保しているが、四川省のような大きな地震に見舞われた時果たして3日分で大丈夫なのか。
って事で家族の命は自分達で守らなきゃいけないので、徐々に貯蔵量を増量中。
増やすのは良いんだけど、消費期限が近づくと、毎日のように同じものを食べなきゃいけないんだよね~。
でも非常食が役に立たなかったって事は喜ばしい事なんだから感謝しなきゃね。

世界一の○OYOTAの実情

地元中日新聞連載の○OYOTAの下請けの窮状。
良くぞここまで書いてくれたと我が家も含め同業者は拍手喝采。
儲け主義に走ってしまった大企業○OYOTA。
傲慢企業の行き着く先は?・・・。




希望見えぬ「世界一」 ○ヨタの足元<1>

働けど、働けど「未来が見えない…」=名古屋市近郊で


 「どうして、うちの主人がクビになるんですか」

 一家の大黒柱の危機を知り、怒鳴り込んできたのはその妻と娘だった。

 名古屋市近郊にある古びた工場。床がきしむ事務室で、社長は“鬼”を演じるしかなかった。「情に流されたら会社はやっていけない」。自身もまた、追い詰められていた。

 まだ昭和だったころ、亡くなった父親の後を若くして継いだ。

 星くずほどもある「○ヨタ系」企業の1つ。100人に満たない従業員には、子どものころから顔見知りの工員も多い。「みんな家族みたいに感じていた」。従業員たちを守り抜こうと思ってきた。

 状況が変わったのは2000年。その夏、「国際競争力ナンバーワン」を目指すトヨタのコスト削減大作戦「CCC21」が始まり、3割削減という非情な「お願い」が、末端の下請けまで駆け降りてきた。

 「できなきゃ仕事が切られるかもしれない。実態は強制ですよ。達成するしかなかった」と社長は言う。

 3割という過酷な削減に“聖域”はあり得ない。

 その年から、ざっと2割の従業員に辞めてもらった。穴埋めの人手に外国人を充て、人件費を抑えた。

 妻子が乗り込んできたのは定年間際だった番頭格の社員。職人肌で、外国人の採用に「言葉も分からないのに仕事を教えようがない」と頑固一徹に反対した。品質とコストを考えたぎりぎりの選択を受け入れない彼に、最後は「辞めてくれ」と言うしかなかった。

 彼はもちろん、妻も娘も会社を「家族」だと感じていたのだろう。

 「だから乗り込んでもきた。でも、もう家族感覚じゃ経営は成り立たない。会社を存続できるかどうか、が迫られた」

 1999年当時、日経連(現日本経団連)会長だった○ヨタの○田碩(ひろし)相談役は「従業員をクビにする経営者は自ら腹を切れ」と言い、安易なリストラを戒めている。

 事実、○ヨタは戦後の一時期を除き、リストラを1度もしないまま、営業利益が2年連続で2兆円を超え、「勝ち組」の代表になった。

 ただ、その下請けの社長は「○ヨタは足元が見えているのか」と思う。「2兆円」も「安定雇用」も、無数にある町工場の犠牲がその土台にある。「腹を切れ」は安住の地にいるトップのそらごとに聞こえるのだ。

 利益を吸い尽くされた末端の町工場に、投資に回す余力はない。次代を考えても「まったく希望が見えないんですよ」。生活を切り詰めても、生命保険料の支払いだけは欠かしたことがないという。

 「もしもの時には、そのカネで会社を清算してほしいと思う」

 社長は真顔だった。

   ×  ×

 ○ヨタ自動車は不思議な会社だ。自動車業界で“世界一”の利益を稼ぎ出すグローバル社会の「勝ち組」でありながら、経営方針は人の“和”を尊ぶ「日本型」の見本とされる。「結いの心」第3部では、○ヨタの今昔を舞台に、企業社会の中の「競争」と「結い」のせめぎ合い、そのひずみに目を向けたい。




「身の丈見失うな」 ○ヨタの足元<2>

「おごれる者は久しからず」。渡辺捷昭(かつあき)社長は入社式で新入社員を戒めた=愛知県豊○市内で


 ○ヨタの恐れる「おごり」とはこのことか。

 数年前、自動車部品の梱包(こんぽう)用段ボールなどをつくる「中央紙器工業」(愛知県春日町)の本社応接室。当時、社長の合原美治(ごうはらよしはる)(66)は、目の前の課長クラスと見える男が「○ヨタマン」だとは信じたくなかった。

 ソファにどっかと座り、足を組んでいる。「本社で決まったんでぇ、これだけお願いします」。無造作に置いた資料には、たやすくはないコスト削減額が示されていた。

 「(下請け)業者の立場で承ります」。合原はいったん頭を低く下げた。しかし、向き直って言ったせりふに怒気を込めた。

 「OBとして言わせてもらう。その態度は何だっ。出直して来い」

 目を丸くして部屋を飛び出した彼は数日後、すっかり身を小さくしてやって来た。

 合原も元○ヨタマンだ。入社は1966(昭和41)年。ちょうど○ヨタを代表する車種「カ○ーラ」が発売され、世界企業への足掛かりを築こうとしていたころ。当時の上司が口をすっぱくして言ったことが忘れられない。

 「(下請けの)社長がぺこぺこするのは、君らが偉いんじゃない。○ヨタのカンバンがあるからだ」

 下請けに接待された場合は、料理代を見積もり「分不相応だったら、次から断れ」と上司。おごりはないか、常に身の丈を測る、それが「トヨタ流」のはずだった。

 合原自身、肝に銘じ、後輩にも伝えた。

 下請けの役員を本社へ呼び出し、見下すように足を組んでいた部下の、その足をけり飛ばしたこともある。

 「一生懸命、額に汗してきた年配の方だよ。その人たちのおかげでわれわれがあるんだ」

 中央紙器への社長就任を打診されたのは97年春。当時、海外営業1部の部長だった合原は、南米ペルーでの日本大使公邸人質事件で、○ヨタの現地対策本部長を務めていた。「仲間が危ない状況にいる間は」と、事件解決まで就任を遅らせてもらった。

 就任前、トップクラスの役員が酒席を設けてくれた。「わが社は、わが社はって言うやつはバカだ」。自画自賛はするな、という教え。○ヨタらしい餞別(せんべつ)だった。

 同じコスト削減でも、かつては下請けの実情を把握して接したものだ。

 「大きくなりすぎて、小さなところを見る余裕がなくなってるのかなぁ」

 今春、新たに2000人ほどの○ヨタマンが生まれた。「自分の足元を見失ってくれるな」。そう願わずにはいられない。




誰のための削減か ○ヨタの足元<3>

社長は創業以来の機械を今も操る=愛知県尾張地方で


 「サインはしません」

 電話の向こうで、担当者が絶句していた。

 ○ヨタ系ではすっかり恒例となっている春と秋のコスト削減の要望。「納得済み」だと確認させたいのか、書類には了承のサイン欄がある。

 一昨年春、主に自動車部品をつくる下請け企業の50代の社長は、○ヨタ系の上位メーカーからの求めに初めて、署名を拒んだ。杞憂(きゆう)に終わりはしたが、取引中止も「覚悟の上」だったという。

 背中を押したのは「モノづくりの誇り」だった。

 20代の半ば。人生を見失っていた。社会人野球の選手だったが、プロになる夢をあきらめ、野球で入った企業も退社。「何をしていいか分からなかった」

 ある夜、居酒屋でたまたま隣に座った客と話が弾んだ。「ええ体、しとるやないか。いっぺん遊びにこんか」。○ヨタ系の、小さな工場を営む社長だった。

 ギュイーンという研磨機の音と、油のにおい。壁にかかった2次元の図面が、立体になり、手に触れられる。「すげえ…」。その場で「修業させてください」と頭を下げた。

 賃金は以前の会社の半分で、仕事は倍。1日10時間の残業もいとわずに働き続けたかいあって、3年で独立にこぎ着けた。

 トタンぶき、ノコギリ屋根の12坪(約40平方メートル)の工場兼倉庫。部下は妊娠中の「嫁さん」ひとり。やがて、生まれた子どものゆりかごが片隅に陣取った。

 社名の看板は、小さな機械を使い自ら刻んだ。従業員70人、年商10億を超えるまで成長した今も、その機械は本社工場に鎮座している。

 社内からも「古くさい」と言われるが、忘れたくない。

 「情とか、人情とか、そういうのがいいモノをつくるんだ」

 たとえ、利益が出なくても下請け仲間から「何とかしてくれ」と頼まれたら、段ボールのゴザを敷き、泊まり込みで仕上げた。逆に、そんな仲間が「あんたのためなら」と注文を出し、苦境を救ってくれたこともある。

 自ら設計し、つくり上げてきた部品は、一つ一つの価格にもなぜそうなのか「ストーリーがある」。毎度毎度、決まりごとのように求められるコスト削減。そこには、モノづくりの現場に息づく「物語」や「哲学」がない。

 「○ヨタさんのおかげで大きくなれた」。経営者として、反論する言葉はない。ただ「いったい何のため、誰のための削減なのか」。職人として、それを知りたいと思う。




町工場の事情がある ○ヨタの足元<4>

○ヨタ系の工場では、どんな小さな部品でも無駄な在庫を抱えないよう必要量を示した「カンバン」が行き渡る=愛知県内で


 「ここまで言われなくちゃならないのか」。ある○ヨタ系部品メーカーの40代の社長が歯がみをしたのは数年前のこと。

 愛知県尾張地方の工場。○ヨタの仕入れ担当者がストップウオッチ片手に乗り込んできた。

 コスト削減にちゃんと応えられるかどうかのチェック。眼鏡にかなわなければ「カイゼン」を求められる。

 「どうしてウソつくんだ」

 入社10年余りの中堅どころといったその担当者は、ある工程のタイムを計り、怒った。事前に出していた申告は「40秒」。“○ヨタウオッチ”では「30秒」だった。

 「でも」と社長。

 工場の工程は一つではない。ミスが起きたら自分の仕事が遅れても皆で助け合うものだ。「少しの余裕もないんじゃ、他人のことなんて構ってられない。どんな場合でも品質の高いモノをつくろうって、必死に割り出した数字を『ウソ』だと切り捨てるのか…」

 別の経営者は○ヨタのチェックで「仕入れ数が多すぎる」と注意された。数十個単位で外注していた小さな部品。急に言われても、すでに発注先がつくってしまっている。

 頭をよぎったのは、やはり町工場のそこの「おやじさん」の顔。「小さくて苦しいとき、助けてくれた。そう簡単に右から左にはいかないんですよ」。カネや数字で測れない、町工場なりの事情がある。「つくり過ぎた」分の支払いは結局、自分でかぶった。

 確かに○ヨタ系にいることのメリットは大きい。「銀行が『ぜひ、融資を』と言ってくる」「新車開発にかかわれたら、数年先までの仕事が埋まる」。経営者として「安定」は何にも替え難い。

 だが、名古屋市内の下請けのトップが言い切る。

 「カネだけのつながり。○ヨタのために、なんて気持ちは、今はこれっぽっちもない」

 「乾いたタオルでも知恵を出せば水が出る」。1970年代、オイルショックのころの○田英二(現最高顧問)のこの言葉が○ヨタではカイゼンの象徴として語り継がれる。ただ、これには前置きがある。「機械的に考えるのではない」と。

 本来、モノづくりへの思いや知恵を促すための「カイゼン」が“効率”を測るためだけのもの差しになっていないか。

 「言われた通りのモノを言われた通りの価格で、言われた通りにつくり続ける。○ヨタ系では、そんな会社しか生き残れない」

 そう語る下請けの経営者は最近、自家用車を○ヨタから他のメーカーへ替えた。モノづくりの会社の経営者として「ささやかな抵抗」だという。




努力だけじゃ勝てぬ ○ヨタの足元<5>


新製品の精度は「拡大鏡で精査する」と加藤社長=三重県桑名市のエイベックス多度工場で


 拍手の波が夕立の音のように響いた。

 先月22日、愛知県安城市にある○ヨタ系大手一次メーカーの本社ホール。傘下の400社ほどのトップが顔をそろえていた。

 その1人、部品メーカー「エイベックス」(名古屋市)社長の加藤明彦(61)は壇上で居並ぶ「仲間」の拍手を浴びながら、しみじみ感じていた。

 「みんなの努力が報われたなぁ」

 その日は傘下でコスト削減や品質管理で高い成果を挙げた企業の表彰式。同社はすべてに優れた「総合優秀賞」を受賞した。

 「うちはアレが始まってから成長してきた会社なんです」

 アレとは「CCC21」。○ヨタが2000年夏に始め、3年間で1兆円近くに及んだコスト削減方針のこと。多くの下請けが悲鳴を上げたが、加藤は「チャンスだった」と振り返る。

 1984年、父親の後を継いで社長になったが当初は「オレが、オレが」と意気込みばかりが空回り。「『坊ちゃん』の言うことなんて現場の職人さんは耳を貸してくれなかった」。92年、「加藤精機」からの社名変更。加藤の名を外し、「みんなで一緒にがんばりたい」と全社員の前で頭を下げた。

 大幅削減をのめば赤字になる可能性が高かった。

 加藤を先頭に、社員一丸となり、工程の見直しを進め、ムダの排除や品質向上を図った。「赤字覚悟」のはずが初年度からわずかだが黒字が出た。新商品の開発にも成功し、弾みがついた。この5月期の売上高は01年の9億円から3倍増に達する見通しだ。

 「前向きにコスト削減を受け入れたことで、企業体質を向上できた」

 「勝ち組」にとどまったカギを「人の和」と加藤は言う。

 社長になって以来、一人一人、自ら面接して採用。次代の幹部を約束し、大手の内定をけって入社してもらった逸材もいる。

 ただ、○ヨタ系と言っても、2万から3万点に及ぶ部品の数だけ、傘下の企業があるとされる。

 大卒の技術者はもちろん、何年も新たな人手を雇うことすらできず「努力」しようがない町工場も数多い。新技術の開発に必要な人材を確保できる条件を持っている下請け会社は、むしろ少数派だ。

 「○ヨタ系の中でも『勝ち組』と『負け組』の選別が始まっている」。広い、広いすそ野からはそんな声が聞こえてくる。



「つぶれても仕方ない」 ○ヨタの足元<6>


新川(右)の堤防が決壊し、水浸しになった工場や住宅=2000年9月12日、名古屋市西区で、本社ヘリ「あさづる」から


 「えっ…」。○ヨタ系の大手企業で仕入れ担当をしていた四十代の男性社員は思わず、声を失った。

 コスト削減を依頼しようとしたある下請け業者が「見積もりの仕方が分からない」と口にしたからだ。

 父ちゃん、母ちゃん、家族でほそぼそと経営する、いわゆる「三ちゃん」工場のひとつ。誰も帳簿の付け方すら知らなかった。それでは削減を求めようもない。どうするか。

 「こっちで見積もるんです。うちは中間業者。高めに出したら、○ヨタから『この値段でできる』って文句がくる。温情をかける余裕なんてない」

 売上高が兆単位の巨大企業も、三ちゃん工場もあるのが○ヨタ系。男性社員は言う。

 「小さいところを訪ねる場合、以前は、これぐらいならつぶれないかなぁって額に見積もった」

 絞りつつもつぶさず伸ばす-が、かつては下請け管理のコツだった。

 「今は、コスト削減についてこられないなら、つぶれても仕方ないって感じ。国際競争が激しくなって、育てる価値があるかどうか、下請けを選ぶようになってきた」

 一兆円近くものコスト削減活動「CCC21」が始まった二〇〇〇年七月。それから間もなく、中小の下請け各社を震え上がらせる“事件”が起きた。

 この年九月の東海豪雨。多くの工場が被害に遭ったが、○ヨタの対応は素早かった。豪雨の翌日には、一次下請けの大手企業も動員して、被害が出た各社へ人手を手配し、水に漬かった機械の乾燥や修理を進めたという。

 間もなく、一つの出来事が系列の関係者を驚かせた。

 ある町工場が浸水。復旧に元請けの会社と○ヨタから大挙して従業員が訪れ、丸一日で工場を復旧してみせた。経営者は涙ながらに喜んだ、と伝えられる。しかし、ほどなく送られてきた請求書に凍り付いたという。

 取材に経営者は口をつぐむが、請求額はウン千万円に上った。

 「困ったときはお互いさまって考えは無くなっちゃったんですかねぇ」

 “事件”を知る経営者たちは、こうも言う。「○ヨタじゃない。あの元請け企業が勝手にやったこと」。ただ、○ヨタ系の徹底的な効率主義、元請けと下請けのドライな最近の関係がもたらした出来事を、こうも見る。

 「あすはわが身かもしれない」




号令一下、政治まで ○ヨタの足元<7>


選挙演説後、○ヨタ自動車の○富士夫副会長(現会長)(左)と握手を交わす小泉首相(右)=2005年9月、愛知県豊○市内で


 名古屋市近郊の○ヨタ系部品メーカー。

 「これで3社目だわ」。40代の若手社長は一人愚痴った。取引先の上位メーカーからかかってきた電話の内容はどれも同じ。

 「今度の選挙は自民党をよろしく」

 まるで命令口調。「分かりました」と受話器を置くと、社長は3回目のため息をついた。「はあっ」

 2005(平成17)年夏、小泉純一郎元首相が声高に「郵政民営化」を問うた総選挙。ある日○ヨタは当時、「財界総理」と呼ばれる経団連会長だった会長○田碩(ひろし)(75)=現相談役=の号令の下、グループ挙げて自民党支援に走った。

 愛知県三河地方の一次メーカーの役員は○ヨタ本社から「何回、行ったかが大事」と聞かされ、仕事中、幾度も地元の選挙事務所へ足を運んだ。大抵、顔見知りの下請け役員もいて「お互い、大変ですね」と苦笑い。

 先の若手社長も地元候補の後援会員集めを求められ、役員たちは妻子らの名前まで名簿に書いた。だが、当たり前のように上から降ってくる「指示」が、内心不思議だった。

 「○ヨタってこんな会社だったっけ」

 ○ヨタは元来、政治とは一定の距離を保ってきた。創業者の豊○喜一郎を支え、○ヨタの大番頭と呼ばれた石田退三は「自分の城は自分で守れ」と自主独立を説き、政治どころか財界活動にも慎重だった。

 長年、東京本社の広報担当として政界との付き合いも深かった神尾隆(65)は、郵政選挙について「財界総理のいる会社として特殊なケース」と、政権与党へのらしからぬ肩入れを説明する。

 しかし、票集めの駒にされた違和感はぬぐいがたく残る。

 「昔の○ヨタなら投票先を命令するなんて考えられない。何でも命令できると思ってるんですかねぇ」

 最近、社長の会社は上位メーカーの指示通りに工程を変更して、不良品を出した。「10年ぐらい前なら、どうして出たのか一緒に話し合って改善策を見つけたもの」

 それが今では、社長の説明を聞こうともせず、弁償を認めるまで“口撃”され続けたという。ちょうど口ぶりはあの選挙のときのよう。

 「お宅の責任でよろしく」

 選挙で自分は指示された候補に投票したが、社員にまでは頼めなかった。

 「コストだけでも精いっぱいなのに、従業員にまで思想信条を押しつけられたくないですから」




鉄くずまで削られる ○ヨタの足元<8>
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町工場で金物を削る○ヨタの下請け会社の社長。軍手も中の手も油にまみれていた=名古屋市内で


 あこがれの大人たちがいた。

 名古屋で○ヨタ系の町工場を営む40代の社長にとっては、たとえば元中日ドラゴンズの星野仙一投手(現五輪代表監督)。1974(昭和49)年、セ・リーグ優勝を決めたマウンドの勇姿は今も目に焼きついている。

 工場の先代だった「おやじ」が、たまにキャッチボールしてくれるのが「うれしかったなぁ」。大黒柱のおやじが“ヒーロー”だったし「あの人たち」もそうだった。

 トラックに乗り、おやじとよく行った上位メーカーの工場。「職人さんたちが中から出てきて『元気か』『よく来たな』って声をかけてくれるんですよ」と懐かしむ。頭をなでる分厚い手と野太い声。「男らしいなぁ、ってね」

 随分と大きく、きれいになったその工場で先日、幹部社員にこんなことを言われた。

 「小さいところはつき合いづらいから早く大きくなって」

 ちょっときつめの「励まし」だと信じようとしたが、その後、自分の工場に来た若手社員が口にした“本音”はこう。「知れた発注量の取引先に人手を割かれるなんて、もったいない」

 10年ほど前、病気で倒れたおやじに代わり「社長」になったとき、おやじは言った。上位メーカーの名を挙げて「一緒に大きくなるんだ。ついていけば大丈夫だから」と。

 「(下請けの)仕事が安すぎるんじゃないか」と不満をぶつけた時には、笑って諭されたものだ。「お客さん(上位メーカー)がもうかって大きくなれば仕事も安定する。うちは一生懸命働けばいい」

 今も工場には機械を冷やすエアコンがあるだけで、人間用はない。

 以前なら作業で余った鉄くずをスクラップ屋に売ることもできたが、厳しいコスト削減で「鉄くずの量まで把握されて、その分も削減対象になっちゃう」という。

 昨年、全体の売り上げは3割増だったが、収支は赤字だった。

 先代のころ、上位メーカーと下請けとの関係はまさに「親子」だったと思う。たまにむちゃなことも言われるけれど、全部「自分のため」だと信じられた。しかし今は「もうけもほとんど吸い上げられて。親子だなんて、とても、とても…」。

 ○ヨタ系も、世の中全体も変わってしまった。そんな今の時流が、社長にはたまらなく「寂しい」。


胃透視検査

通称バリウム検査。
今朝は食事抜きで病院へ。
胃潰瘍で入院してから丁度1年の3月から胃が不調。
潰瘍の再発も考えられるので念のため検査。
結果、胃潰瘍は見付からず病的な所見も診られなかった。
食道や十二指腸も綺麗な形をしており問題なし。
只、空腹時にも拘らず胃酸の量が多いそうだ。
いわゆる胃酸過多症。
これもれっきとした病気なのだそうだ。
だが胃酸を抑える薬を服用する以外はこれと言った治療もなさそう。
ストレスやホルモンバランスの崩れなどで起こるものが多いらしく、ストレスを掛けないようにするとか刺激物摂取を少なくするとかの予防法的な事が大事らしい。
刺激物は元来好きなのでキムチや辛口カレーなどは極力控えなきゃならない。
ストレスに関しては現代社会で生きて行く上で避けようがない。
ストレスに負けないような精神力を養わなきゃね。
性格的な事もあるから、口に出して言うほど簡単なものではない。
基本的に消化の良いものを良く噛んで食べ、睡眠時間を十分とって疲れを溜めないようにする事。
健康のため頑張らなきゃ!

咲いた!

オリーブの木に初めて花が咲いた!


オリーブ-1


植えて5年ほど。
60センチほどの幼木だったが、すっかり大きくなってカットしなければ2階の屋根を当に越していただろう。


オリーブ-2


このオリーブの木。ハート形の葉がちょくちょく見つかる。
以前TVでやっていたが、ハート形のオリーブの葉を見つけると幸せになれるらしい。
結構あっちこっちに見つける事が出来るので幸せに暮らしていけるのかも。
水害前には植えてなかったし、初代オリーブの木は台風で根っこから倒れてしまったからねえ~。
今年は花も咲いたし、これで実がなれば万々歳だあ~♪


オリーブ-3



愚か・・・

ミャンマーのサイクロン。
中国四川省一帯の大地震。
どちらも災害が起きる前に国内で争い事があり、今現在も続いている。
それを戒めるかのように自然災害が起き、「争い事をしているような場合じゃない!」と神様が怒っているようだ。
日本も血を流すような争い事こそないが、後期高齢者医療問題や暫定税率復活等など。
お金が足りないから増税ではなく、どうしてお金を使わないように出来ないのかねえ~。
莫大な税金を投じて国民には関係ない箱物を作ったり、利用頻度の少ない有料道路を作ったり・・・。
ましてや税金をネコババするなんぞ言語道断。
湯水のように税金を使う体質を変えれば減税しても十分回って行く筈。
今年の9月に東海・東南海沖地震が起きると予言までされている昨今。
ミャンマーや中国のように身勝手な事をやってると、とんでもない天罰が下る時がやって来る気が・・・。

取れた!

先週の金曜日の納品に出掛けた時の事。
車中でガムを噛んでいた時にカチンと硬いものを噛んだ。
で、取り出してみて良く見るとどうやら歯の詰め物が取れたみたい。
5ミリ□位の小さなもの。
家に帰ってから鏡で取れた場所を探索。
前歯横の小さめの臼歯みたい。
土曜日は日曜日の親父の一周忌の準備などでバタバタしていて行きそびれ、昨日朝一で予約を入れて歯医者に行って来た。
院長、開口一番「久しぶりだねえ~3年振りだよ。」って言われた。
そっか、前回の治療からもう3年も経ってしまったのか。
せめて1年に1回位は検診に来るのが理想なんだろうけど、どうも病院て所は痛くなったりしないと行き難い。
運良く詰め物が取れた所は虫歯にはなっておらず、接着剤が古くなって取れただけらしい。
古い接着剤を取り除き最接着で治療終了。
歯石取りぐらいはやって貰おうと思っていたら「相変わらず綺麗な歯だ」と言う診断を貰い、歯石も取らず治療は完全終了。
子供の頃は歯医者が大嫌いで虫歯治療を本格的にやったのは大人になってから。
なので奥歯は銀銀に光り輝いてる(苦笑)
でも、大人になってからはまめに歯を磨くおかげか虫歯にもならず歯石も付きにくい環境になってるらしい。
人生の折り返し地点は当に過ぎているので歯は大事にしなきゃね。
年寄りは『歯が命!』だからね(笑)

制作意欲

久しぶりにネームタグ制作。
今回は純チタン。
レアメタルの一つで結構材料費が高い。
でも軽くて錆びないし、金属アレルギーは皆無らしいので以前から一度作ってみたくて材料を入手してあった。
このチタン。バーナーで少し熱すると青や紫に変色する。
表面が熱することにより酸化するためらしいが、アルマイト処理のように綺麗。
皮膜が薄いので耐久性は無いだろうが、剥げてきたらまた新たに参加皮膜を作ってやれば良い。
チタンは磨いてもピッカピカにはならず、鈍い光沢を発するのみ。
青いタグもお洒落で良いかも。
暫くは酸化皮膜のまま装着しておこう。
2ヶ月遅れのBAMBIの誕生日プレゼントだな。



BAMBIタグ-1

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オジンガ~!

Author:オジンガ~!
よお~居りゃあ~した。ちゃっちゃっと見たってちょお~!

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